※ 医療的な助言ではありません。現場で考え、試していることの記録です。 登場人物と場面は、個人が特定できないよう変えてあります。
>> 「向いてないと思うんです」
若手が言いました。
若手「最近、まったく伸びてない気がします」
わたし「そうか?」
若手「三ヶ月前と、できることが同じです」
わたし「……」
否定しようとして、止まりました。
たしかに、目に見える変化は思い出せませんでした。
相棒「最初の半年はぐんぐん行っとったのにな」
若手「そうなんです。だから余計に」
焦っているのが、はっきり分かりました。
その晩、じいさんが盆栽を見ていました。
かなり長いあいだ、同じ枝を見ています。
わたし「どうしたんや」
じい「春から動いとらん」
>> 上達は、直線ではなく階段になっている
学習には、プラトー(高原)と呼ばれる期間があります。
練習を続けているのに、成果が伸びない期間のことです。
グラフにすると、平らな部分が出ます。
で
き ┌───
る ┌┘
こ ┌┘ ← 平らな期間(プラトー)
と ─┘
└────────────────→ 時間なぜ平らになるのか。
一つは、上達の中身が変わるからです。
最初の時期に伸びるのは、個々のやり方です。
一つ覚えれば一つできるようになるので、伸びが目に見えます。
ある程度たまると、次は 繋げる段階 に入ります。
覚えたものを状況に応じて選び、組み合わせる。
この段階では、新しくできることが増えません。
できることは同じで、選び方が上手くなっているからです。
本人からは、止まって見えます。
やっていることが変わらないので、当然そう見えます。
もう一つあります。
基準が上がっているということです。
半年前は「動けばよかった」ものが、今は「これでは雑だ」と見えます。
見る目が上がったぶん、同じ成果物が下手に見えるわけです。
これは伸びの結果です。
それが本人には停滞の証拠として届きます。
>> 三ヶ月前の作業を、並べて見せた
そこで、記録を出しました。
三ヶ月前にその若手が作った手順書と、先週作ったものです。
並べて、本人に見せました。
若手「……これ、自分が書いたんですか」
わたし「三ヶ月前のや」
若手「読みにくいですね」
わたし「今のは読める」
若手「……はい」
このとき、少し表情が変わりました。
伸びていないと思っていたのは、比べる材料を持っていなかったからでした。
毎日見ていると、変化は分かりません。三ヶ月飛ばすと分かります。
>> それでも、焦りは消えなかった
正直に書きます。
その若手の焦りは、それで消えませんでした。
翌週、また同じことを言っていました。
「伸びてないんじゃなくて、遅いんだと思います」
見せたのは事実です。事実は受け取られました。
それでも焦りは別のところにありました。
考えて、たぶんこういうことだと思っています。
焦りの中身は「伸びていないこと」ではなく、「先が見えないこと」だった。
伸びを見せても、先の見通しは出てきません。
「あと何ヶ月このままか」が分からないままです。
そこで、見せるものを変えました。
先に上達した人の、平らだった期間を話すようにしました。
わたし自身が二年ほど止まった時期があります。
そのとき何をしていて、何がきっかけで抜けたか。
抜けたと気づいたのがいつだったか。
これは事実の提示ではなく、先の話です。
不思議なことに、記録を見せたときより効きました。
ただ、これも確実な方法ではありません。
その人が止まっている期間そのものを、短くする方法は持っていません。
分かったのは一つだけです。
平らな期間に「向いていない」と判定させないこと。 ここだけは防げます。
判定してしまうと、練習が止まります。
練習が止まると、本当に伸びなくなります。
じいさんは、まだ枝を見ていました。
わたし「動かんのは、まずいんか」
じい「まずくはない」
わたし「ほんまか」
じい「根が伸びとるんじゃろ。見えんけどな」
見えないものを待てるのが、たぶん強いのだと思いました。
初出: note
