※ 医療的な助言ではありません。現場で考え、試していることの記録です。 登場人物と場面は、個人が特定できないよう変えてあります。
>> 見ていないことに、気づかれた
作業をしていたら、若手にこう言われました。
若手「その手順書、見なくていいんですか」
わたし「見とらんな」
若手「……書いたの、ご自身ですよね」
書きました。半年前に、二日かけて。
相棒「読まん本を書く人みたいやな」
わたし「うるさい」
その晩、じいさんが自転車のパンクを直していました。
チューブを出して、水を張った桶に浸けています。
わたし「よう覚えとるな、そんなん」
じい「何回もやっとるからな」
>> 書ける知識と、書けない知識がある
暗黙知と形式知という言葉があります。
- 形式知 … 言葉や図にできる知識。手順書、マニュアル、仕様書
- 暗黙知 … 体で覚えていて、言葉にならない知識
自転車のパンク修理を思い出してください。
「チューブを取り出し、空気を入れ、水に浸けて泡の出る箇所を探す」
ここまでは書けます。形式知です。
では、タイヤをリムから外すときの力の入れ方はどうでしょうか。
「強すぎるとチューブを傷める、弱いと外れない」── 書けますが、これを読んで
一発でできる人はいません。
そこが暗黙知です。
そして厄介なのは、熟練するほど暗黙知の比率が上がることです。
何十回もやった作業は、手順を思い出しません。手が先に動きます。
このとき手順書を開くと、むしろ遅くなる。だから見ない。
つまり、わたしが手順書を見ないのは怠慢ではなく、
手順書が要らない状態になっていたということでした。
問題は別のところにあります。
手順書を書いたのが、その状態の人間だったことです。
自分にとって当たり前になっている部分は、書きません。書く必要を感じないからです。
そして初めての人が困るのは、たいていその部分です。
>> 読む人に、書かせてみた
そこで、手順書の作り方を変えました。
作業をやったことのない人に、書いてもらうことにしたんです。
手順は、隣で口で説明します。書くのは相手です。
若手「ここ、どうやるんですか」
わたし「そこは……こう、ちょっと押しながら回す」
若手「押しながら、を書きます」
わたし「いや、押すというか、当てる感じや」
若手「……どっちですか」
こうなりました。何度も止まりました。
出来上がった手順書は、わたしが書いたものより二倍長くなりました。
そして、初めての人がその手順書だけで作業を終えられました。
>> それでも、二本目は作らなかった
正直に書きます。
この方法は、時間がかかりすぎました。
一本作るのに、二人で半日かかりました。わたしが一人で書けば二時間です。
四倍以上のコストです。
そのあと、二本目を作る余裕はありませんでした。
分かったのは、全部の手順書をこの方法で作るのは無理ということです。
だから、対象を絞りました。
- 人が入れ替わる作業(引き継ぎが起きる)
- 年に数回しかない作業(誰も暗黙知を持っていない)
この二つだけ、読む人に書かせます。
それ以外は、今まで通り自分で書いて、「当たり前」を書いていないと自覚したうえで渡します。
自覚があるだけで、質問されたときの態度が変わりました。
「書いてあるでしょう」と言わなくなったからです。
パンクの修理が終わりました。
じいさんが空気を入れて、タイヤを指で押しています。
わたし「その手順、書いといてくれんか」
じい「書いてもええが」
わたし「頼むわ」
じい「わしのやり方を書いても、あんたにはできんじゃろ」
そのとおりでした。
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