※ 医療的な助言ではありません。現場で考え、試していることの記録です。 登場人物と場面は、個人が特定できないよう変えてあります。
>> 全員賛成の翌日に、全員から相談された
会議で新しい進め方を決めました。
説明し、質問を受け、賛成で通りました。反対はゼロです。
翌日、廊下で一人に呼ばれました。
若手「あれ、正直きついと思います」
わたし「昨日、なんで言わんかった」
若手「……言いにくくて」
その日のうちに、別の二人からも同じことを言われました。
三人です。会議に出ていたのは五人でした。
相棒「昨日の会議、なんやったんやろな」
わたし「決まったはずやけどな」
相棒「決まったのは、賛成することやろ」
その晩、じいさんが味噌汁を飲んでいました。
わたし「どうや」
じい「うまい」
そう言って、台所に立って塩を足していました。
>> 賛成は、同意ではないことがある
集団思考(groupthink)という言葉があります。
集団で議論すると、個々人が単独で考えるより判断の質が落ちることがある、という現象です。
なぜそうなるのか。理由の一つは、異論を出すコストにあります。
会議で反対するとき、その人が負担するものを並べてみます。
・場の時間を止める
・提案した人と対立して見える
・「分かっていない人」と思われる
・代案を求められる一方、賛成した場合の負担はゼロです。
その場は一秒で終わり、誰とも対立しません。
つまり 賛成と反対は、コストが釣り合っていません。
このとき人は、自分の意見ではなく 「安いほう」 を選びます。
サボっているのではなく、そういう仕組みになっているだけです。
だから、こうなります。
反対が出なかったのは、合意が取れた証拠ではない。
もう一つ、見落としやすい点があります。
会議室では、誰も自分の手が止まる場面を想像していません。
実際に手が動いてから「これはきつい」と分かります。
だから賛成は、そのときは嘘ではないのです。
まだ体で分かっていなかっただけです。
>> 「反対を一つ出す」を役割にした
そこで、次の会議で一つ試しました。
決める前に、誰か一人に「反対役」を割り当てることにしたんです。
わたし「今日はあんたが反対役や。何でもええから一つ出してくれ」
若手「……役割としてですか」
わたし「そう。役割や」
これが効きました。
役割になっていると、個人の意見として言わなくて済みます。
異論を出すコストが、そこで消えます。
出てきた反対は、こういうものでした。
「月末はこの手順を回す時間がないと思います」
これは本物でした。
そして会議のあと、他の二人が「自分もそう思っていた」と言いました。
一人が言うと、続きます。 最初の一人のコストだけが高いのです。
>> 二回目から、形だけになった
ただし、三回目でおかしくなりました。
若手「反対役なので言いますが、まあ大丈夫だと思います」
形式的な反対が出るようになったのです。
役割として言っているだけで、中身がありません。
役割にしたことでコストは消えましたが、
同時に「本気で言わなくてよい」も成立してしまったわけです。
そこで、聞き方を変えました。
反対役に、こう聞くようにしました。
「これをやったとき、あなたの手が止まるのはどこか」
意見を求めるのをやめて、手順の中の一点を答えさせる形にしました。
これは形式的には答えられません。
実際に自分の作業を思い浮かべないと、場所が出てこないからです。
今はこの形で回しています。
それでも取りこぼしはあります。廊下で言われることは、まだあります。
ただ、廊下で言われたときに「なぜ会議で言わないのか」とは思わなくなりました。
言わないほうが安いからです。 それを設計していなかったのは、わたしのほうでした。
じいさんが味噌汁を飲み終えました。
わたし「さっき、塩足しとったやろ」
じい「足したな」
わたし「うまいって言うたやん」
じい「うまいと言うたら、作った者が喜ぶじゃろ」
悪気はまったくないのでした。
#会議 #マネジメント #組織 #心理学 #ファシリテーション
初出: note
