※ 医療的な助言ではありません。現場で考え、試していることの記録です。 登場人物と場面は、個人が特定できないよう変えてあります。
日曜の朝、じいさんの部屋を片付けることになりました。
きっかけは大したことではありません。
廊下から見えた押し入れの襖が閉まらなくなっていて、中から何かがはみ出していた。
それだけです。
わたし「じいさん、あれ片付けよか」
じい「片付いとるがな」
わたし「襖が閉まっとらんで」
じい「……そうじゃな」
十時から始めました。
昼までには終わると思っていました。
最初に出てきたのは、紙の束でした。
新聞の折り込みチラシです。
それも、きれいに折って重ねてある。厚さは十センチほどありました。
わたし「これ、捨ててええやろ」
じい「それは要る」
わたし「チラシやで」
じい「裏が白いじゃろ」
たしかに白い。
じい「メモを書くんじゃ」
わたし「メモ帳、買うたるわ」
じい「買わんでもある」
言われてみればそのとおりで、返す言葉がありませんでした。
チラシは戻されました。
十時十五分。まだ一つも減っていません。
次に出てきたのは、缶でした。
海苔が入っていたらしい四角い缶で、蓋を開けると中に釘が入っていました。
大小さまざま、種類ごとに分けてある。
わたし「釘、こんなに要るか」
じい「要る」
わたし「何に使うんや」
じい「これから使う」
これから、というのがいつなのかは聞きませんでした。
たぶん本人にも分かっていない。それでも「これから使う」ものは捨てられません。
缶は戻されました。
その隣から、同じような缶がもう二つ出てきました。
一つはネジ、もう一つは何かの部品でした。
わたし「これは」
じい「それも要る」
十時四十分。
一時間ほど経ったころ、わたしのやり方が間違っていることに気づきました。
「これは要るか」と聞くと、じいさんは必ず「要る」と答えます。
当たり前です。要らないものは、そもそも押し入れに入れていない。
だから聞き方を変えました。
わたし「これ、いつ使うた」
じい「……いつじゃったかな」
わたし「思い出せんのやったら、しばらく使うとらんのやろ」
じい「そうかもしれん」
これは少し効きました。
効きましたが、捨てることにはなりませんでした。
じい「思い出せんだけで、使うたはずじゃ」
そう言われると、こちらも「いや使っていない」とは言えません。
その場にいなかったのですから。
十一時三十分。押し入れの中身は、床に広がっただけでした。
昼を過ぎたころ、古い木の箱が出てきました。
蓋が反っていて、開けるのに少し力が要りました。
中に入っていたのは、写真でした。
わたし「これ、誰や」
じい「わしじゃ」
言われてみれば、そうかもしれません。
若い男が、機械のようなものの前に立っています。
場所はどこか分かりません。工場のようにも、倉庫のようにも見えました。
じい「これを直しとったんじゃ」
わたし「何の機械や」
じい「もう無い機械じゃ」
そこから三十分ほど、じいさんの話を聞いていました。
どういう仕組みの機械で、どこがよく壊れて、どう直したか。
話の半分も分かりませんでしたが、じいさんは楽しそうでした。
そして途中で気づきました。
さっきの釘とネジと部品は、たぶんこの話の続きなんだろうと。
もう無い機械の話をする人が、これから使う釘を持っている。
それは矛盾しているようで、していないのだと思います。
結局、片付けは午後一時に終わりました。
三時間かけて、捨てたものは一つでした。
壊れた懐中電灯です。
スイッチを入れても点かない。電池を替えても点かない。
じい「これは、もうええわ」
わたし「ええんか」
じい「点かんもんは、点かん」
あっさりしたものでした。
三時間ねばって「要る」と言い続けた人が、これだけは一秒で手放しました。
帰り道に考えていたのは、こういうことです。
わたしは最初、押し入れの中身を「要るもの」と「要らないもの」に分けようとしていました。
そして、ほとんどが要らないものに見えていました。
でも、じいさんの中では違う分け方をしていた。
まだ役に立つ可能性があるものと、もう役に立たないもの。
チラシは裏が白いから使える。釘はこれから使う。部品はいつか要る。
そして懐中電灯は、点かない。だから終わり。
わたしの基準は「最近使ったか」でした。
じいさんの基準は「これから使えるか」でした。
同じ押し入れを見て、違うものを見ていたわけです。
判断が違ったのではありません。そもそも、測っているものが違った。
夕方、襖はちゃんと閉まるようになっていました。
中身はほとんど減っていません。
ただ、じいさんが並べ直したら、なぜか収まりました。
わたし「入るんやったら、最初から入れといてくれや」
じい「入れ方を忘れとった」
それは片付けとは言わんのではないか、と思いましたが、
襖は閉まっているので、まあいいことにしました。
来週は、物置をやるそうです。
そちらは半日では終わらんと思います。
初出: note
