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苫米地英人のコーチング理論を、田舎のSEが現場で試した記録です。
うちのじいさんは仕事のことを何も知りませんが、言うことは大体正しい。

白露と聞いて、じいさんは草を見に行った

白露と聞いて、じいさんは草を見に行ったの見出し画像

※ 医療的な助言ではありません。現場で考え、試していることの記録です。  登場人物と場面は、個人が特定できないよう変えてあります。


朝、台所のカレンダーに「白露」と書いてありました。

読み方も意味も知りませんでした。
調べると「はくろ」と読むそうです。
露が白く見えるようになる頃、という意味らしい。

わたし「じいさん、今日、白露やて」
じい「そうか」

そう言って、じいさんは外に出ていきました。


追いかけると、庭の隅にしゃがんでいました。
草を見ています。

わたし「何しとるんや」
じい「露を見とる」
わたし「……カレンダーに書いてあったからか」
じい「そうじゃ」

わたしは、少し呆れました。

二十四節気というのは、たしか千年以上前に中国で作られたものです。
それが今の日本の、しかもこの町の天気に合っているとは思えません。

今年の夏は特に暑くて、九月に入ってもまだ三十度を超える日があります。
そんな年に、暦のとおり露がおりるものでしょうか。

わたし「おりとるか」
じい「おりとらん」
わたし「ほら」

じい「ほらって、何がじゃ」
わたし「暦が外れとるやんか」

じいさんは、しゃがんだまま言いました。

じい「暦は外れとらん。わしが見に来たんじゃ」


意味が分からず、しばらく黙っていました。

わたし「どういうことや」
じい「暦は、露がおりる日を当てるもんやない」
わたし「ほな何や」
じい「見に行く日を教えるもんじゃ」

そう言われて、ようやく分かりました。

暦は予報ではないのです。
「そろそろ変わる頃だから、確かめに行け」と教えているだけ。

確かめた結果は、その年によって違う。
今年は露がおりていなかった。それは暦が外れたのではなく、今年はまだ早いというだけの話です。

わたし「おりとらんかったら、どうするんや」
じい「まだ植えん」
わたし「暦には植える時期が書いてあるやろ」
じい「書いてあるが、露がおりとらんかったら早い」

暦を見て、外に出て、自分の目で確かめて、それから決める。

暦を信じているのではありませんでした。
暦をきっかけに、確かめに行っていたのです。


翌朝、六時前に物音がしたので起きました。

じいさんが、また庭に出ていました。

わたし「まだ見とるんか」
じい「今朝はおりとる」
わたし「昨日はおらんかったやろ」
じい「一日で変わるんじゃ」

草の先に、細かい水滴がびっしり付いていました。
朝日が当たって、たしかに白く光って見えます。

わたし「白露やな」
じい「一日遅れじゃな」
わたし「暦、外れとるやん」
じい「一日くらい、外れたことにはならん」

そういうことにしておきました。


会社に行きながら、少し考えていました。

わたしは仕事で、期限や定例に助けられています。
月末になれば数字を見る。定例が来れば進み具合を確かめる。

正直なところ、その期限や定例が本当に適切な間隔なのかは分かりません。
月末に見るのがちょうどいい根拠なんて、たぶんありません。

それでも、あるから見る。
なければ、見ようとすら思いません。

基準が正しいかどうかと、基準があることの値打ちは、別の話でした。

じいさんの暦は、たぶん今の気候には合っていません。
それでもあの人は、暦があるから毎朝草を見に行き、
その年の本当の様子を、自分の目で知っています。

暦を持っていない人は、露がおりたことにも気づきません。


夕方、帰ってから聞きました。

わたし「次は何の日や」
じい「秋分じゃな」
わたし「それも見に行くんか」
じい「行くぞ」
わたし「何を見るんじゃ」
じい「昼と夜が同じ長さになる日じゃ。まあ、見ても分からん」

見ても分からんのに行くのか、と聞いたら、こう返ってきました。

じい「分からんことが分かるじゃろ」




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